あれではとてもイルカにはなれない

世界観をアウトプットするブログです、何卒

至 : 憂鬱

久しぶりに連絡をとった人がいた。
その日はその人の誕生日だったからだ。



でも、思い出は一方通行だった。

僕がその思い出を額縁に入れて後生大事にしまっておいたのに対して、向こうはもうそんな思い出は海にでも投げたか、ゴミと一緒に燃やしてしまったという風だった。もしかすると、シュレッダーにもかけたかもしれない。いや、参った、参った。


僕に意気地がなかったから。


そして僕もその思い出を、極力表へ出てこなさそうな心の奥深くに押し込め、手当たり次第に錠をかけた。そして鍵はどこかへ捨てた。そこは深海かもしれないし、宇宙かもしれない。リビングのテーブルの上かもしれない。

バカげた話だ。もっと早くに気づくべきだった。人を傷つけた思い出を懐かしむ権利なんて、誰が持ち得るだろうか。


·····


花を買った。

脈絡なんてない、なんとなく目に止まったからだ。
大ぶりのパンジーと、小ぶりのマーガレット。花束じゃなく、鉢に植えられた生きている花。レジ袋からは、紫色とピンク色の生命の気配がする。



彼らは動くこともできず、喋ることも出来ない。何を考えているのかわからない。そもそも、考えることが出来るのかもわからない。
でも、花を咲かせることはできる。


僕はもちろん動くことも出来る。加えて考えることもできるし、喋ることも出来る。随分と色々な機能が備わっている。


でも、僕には花を咲かせることは出来ない。
例えそれがどのような意味であれ。





『友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ』


啄木の句だ。叙情的でとてもいい句だと思う。でも、嫌なものを思い出してしまったと思った。上の句にはとても共感できるのだけれど·····うーん。




妻としたしむ·····いいなぁ。