あれではとてもイルカにはなれない

世界観をアウトプットするブログです、何卒

望まぬ帰郷、いざ

みなさまお久しぶりです、それからことフミです。


申し訳ありません、約ひと月ぶりのブログ更新となってしまいました、、。

誰もこんなブログの更新なんて待ってないぞ!という皆様からの声が聞こえるようですが、それはそれとして。



さっそく本題です。
絢爛を極めた()都会での生活を離れ、北海道の実家に帰郷することになりました。いや、なりましたというより、なっちゃいましたと言うべきですね。


あーあ、という感じでいっぱいなわけですが。


ことの経緯は至ってシンプルで、単純に体調が悪くなり休職したというカタチ。

休職にならないようにアレコレ手を尽くしたんですが、病には勝てずでした。


これほど情けない気分になったのは初めてです。
惨めでたまりません!僕は滅多に涙を流すことはないのですが、先日街を歩きながら突然泣き出すやばい人ムーブをしてしまいました。



なんと言えばいいのか…言葉もありません。笑



今はとにかく体調を立て直すことだけ考えていたいんですが、僕の頭はアホなのでなかなかそれを許してくれません。

ありとあらゆるバッドエンドを想像させてきます。どの想像もかなりの説得力を持って迫ってくるので、もう息苦しくてたまりません!

疲れちゃいましたネ。



グチみたいなブログになってしまい大変申し訳ないのですが…😞😞😞




傷病手当金も審査が終わって給付されるのは数ヶ月先になるっていうし。

それまで無収入だし。

実家暮らしなのでお金はあまり使いませんが、それでも無収入はヤバイです。大ピンチってなわけで。



そのくせ頭の中に住む「すぐにご褒美が欲しいおサル」は僕にお金を使わせようとするし、そしてその要求…とういうか欲求に対して僕は抗えないし。

ダメ人間の典型です。




余談ですが…。

「すぐにご褒美が欲しいおサル」のことについて知らない人のためにリンクを貼っておきます。

https://www.ted.com/talks/tim_urban_inside_the_mind_of_a_master_procrastinator/up-next?language=ja

TEDトークは本当に面白いですよね。英語の勉強にもなるし、大好きです。

あともうひとつ僕のオススメ。1日分の詩を味わうことができる素晴らしいトークです。対詩回避シールドを展開してしまった皆様や、そうでない皆様にも是非見てほしいトーク

https://www.ted.com/talks/billy_collins_everyday_moments_caught_in_time/transcript






さてさて、かなり話が逸れちゃいましたので、面舵いっぱい舵を切って話を本筋に戻しましょう。


現在僕にはふたつの選択肢があります。
ひとつは、復職を目指して頑張ること。もうひとつは、転職を見据えて頑張ること。です。

どうしたらいいのか、正直迷っているところです。
やりたいことはあるといえばあるんですが…どうしても勇気も出ないし、頼れる人もいないし、先立つものもないしの三重苦。


もう、人生ままならね〜ってカンジ。世間はどんどん暗くなっていくし。この飽食の令和時代に餓死しちゃうってことも全然あり得ますね。もし死に方を選べるなら、もうすこし心穏やかな死に方がいいです!そんな死に方があるなら、ですけれど。


あ、でも和牛の商品券が配られるから大丈夫か!


…とかなんとか、シニカルなボケもちょいと挟んでみたりしたりなんかしちゃったりして。



この現状を前に、村上春樹先生の「騎士団長殺し」の中の一節が頭をよぎります。以下抜粋。


「私は思うのですが、大胆な転換が必要とされる時期が、おそらく誰の人生にもあります。そういうポイントがやってきたら、素早くその尻尾を摑まなくてはなりません。しっかりと堅く握って、二度と話してはならない。世の中にはそのポイントを摑める人と、摑めない人がいます。(略)」


今がそのポイントなんでしょうか。
味わい深いセリフだなあと思っていたのですが、いざそのポイントに立ってみると、このセリフもまた違った印象を帯びてきます。

冷たい鉄のように重たい生々しさと、じりじり迫る毒ヘビのような緊張感。


こんな時、村上先生なら「やれやれ」と言うんでしょうね。笑



はい。そんなわけでグチってしまったわけですが。

気が滅入るブログで申し訳ありません。許してね。



とりあえずはせっかくのお休みなので、ノンビリ過ごせたらいいかなと思ってます。


甥っ子姪っ子ブラザーズがたまたま実家に来てるのがかなり幸いしてますね。とっても癒されます…。



あ〜あ、むかし夢だった保育士、目指してみたりしちゃおうかなぁ。

ガードレールは緑色だった

緩やかな坂。石のタイルの歩道。前から来る自転車のライトは明るい·····バカみたいに。他に適切な表現が思いつかないほどに野心的な光。

キミは自転車のライトとしてはいささか明るすぎる。



ガードレールに寄りかかる。それは直径5cmくらいの丸いパイプで構成されていた。とても強い衝撃には耐えられそうもない。


例えばそう、内燃機関で駆動する四輪の機械なんかが衝突したら、彼はその衝撃に耐えられないだろう。そう考えると、急にこの道を歩くのが心許なく見えた。律儀に整列しているガードレールが、屏風の群れに見えてくる。


ガードレールがある、という事実が重要なのだろう。ガードレールの機能や役割なんかよりも、遥かに、ずっと。



ガードレールは緑色だった。



目を覚ますと既に日は高く、どうやら世界は今日も僕を置いて進んでいるらしかった。まったく。

たまには世界が僕に合わせてくれたっていいのに。


たくさんの不在着信にはダンマリを決め込んで。



しばらくして外に出ると、冷たい風が吹いていた。冷たく、強い。冬だ、と思った。

おかげでなかなかタバコに火が着けられない。根気強くフリントを擦っても、火花が散るだけに終わる。冬はどうやら喫煙者のことが嫌いらしい。季節まで嫌煙するのか、と僕は思った。そして日が沈んだ。




痛みは生きている証だ、と誰かが言った。そんな証ならいらないと僕は思った。どうして痛みなんて与えられなければならないのだろう。「あなたは生きています」と、表彰状を贈ってくれれば済む話だ。


しかしそれは、誰から贈られるものなのだろう?


そして痛みは、誰に与えられるものなのだろう。


ガードレールは、緑色だった。



寒くなりましたね、と話しかけられた。相手は初老の男性だった。突然のことに戸惑いつつも、そうですね、すっかり冬です、と答えた。心の中で、「そして冬は喫煙者のことが嫌いなようです」と付け加えた。


「その通り。冬は難しい季節ですね」と男性は言った。まるで僕の心の中を見透かしているみたいに。



偶然の一致だったのだろう。それでもこのことはどうも僕の心に引っかかった。まるで知恵の輪でも渡されたような気分だった。それは何の変哲もない知恵の輪だ。解かなくても世界は終わらない。


しかし僕はそれを解かなければならない。知恵の輪は解かれる為にある。




ガードレールは、緑色だった。

育児をするパパママに思うこと

みなさまこんばんは。それからです。

挨拶はどんな場面でも大切なことですよね。例えそれが誰も読んでいないブログだとしても·····です。

てへ。


読んでくれてありがとうございます🥰


最近TLによく育児垢のツイートが流れてくるのですが。
その影響で、界隈のアカウントを少し覗かせていただいたりするようになりました。


もちろん僕は育児なんて経験はしていませんから、育児垢さん方のどのツイートも新鮮に見えます。僕は自分の知らない世界に触れるのがとても好きなので、ひとり感心しながら読ませていただいているわけです。


当然ながら、育児される方にも色んな方がいらっしゃいますね。我が子を愛でる人がかなり多めな印象ですが、それらのツイートを見ているとこちらまで幸せな気持ちになります。


子どもの顔をSNSに乗せることの是非はさて置いて、ですけれど。



そしてそんな色んな方々の中に、こういう方もいらっしゃいました。我が子が可愛いと思えない、と。

否定的な意見も見られましたので、試しに家族にどう思うか聞いてみましたが·····「我が子が可愛くないわけがない!」と月並みな意見で一蹴されてしまいました。



う〜む。
果たして、本当にそうでしょうか。



子どものことが好きだという方は少なくないと思います。僕もそのひとりです。
一般的には、子どもにプラスの感情を持つ人が多いんじゃないでしょうか。


子どもは可愛いですよね。あのあどけなさといい、幼気な行動。。。見ていると可愛さのあまり、思わず自分に絶望してしまいそうになります。自分にもあんな時代があったのに、今は··········。

あぶないあぶない。余計なこと考えるのはやめときましょう。



そこでひとつ思うのですが、僕が子どもを好きでいられるのは、偏に「接している時間が短いから」ではないでしょうか。育児経験がなく且つ子どもが好きだと、子供が欲しいと言う人は、子どもたちのカワイイ面しか見ていない、ということが往々にしてあるのではないでしょうか。


育てるとなれば、きっと話は別でしょう。



子ども、特にまだよちよち歩きの幼い子は、意思疎通の極めて難しいカイジュウです。彼らにはある程度の自我や欲求がありますが、それらを言語化する術を持ちません。感情のコントロールもできません。というより、言語化出来ないから感情で意思表示をしているといった感じでしょうか。



かくしてベイビーモンスターが生まれるわけですが·····そりゃあ、忖度する側が辛くないわけがありませんよね。

みんながみんな、自分の子どもだからヘーキ!とはならないでしょう。

腹を痛めて産もうが、血が繋がっていようが、結局子どもは自分とは別な生命体ですから。自分以外の生活の面倒を全部見るなんて重労働、楽なわけがありません!

僕なんて1人で生きるのも精一杯だというのに·····。


子どもの持つ「可愛さ」、自分たちの子だという「実感」、家族という「愛着」などなど、それらのポジティブな要素 vs 「育児の大変さ」の戦いに後者が勝てば、そりゃあ可愛く思えるハズもありません。

愛せなくても無理はないでしょう。



だいぶ偏った内容になっちゃった気もしますが·····ひとつ僕が強調しておきたいのは、愛せないのは仕方なくても育児放棄や虐待は到底許されざる行為だということです。


ベイビーモンスターの時は愛せないかもしれませんが、モンスターがある程度自立してくれば、きっと。可愛く思える日も来るのではないでしょうか。そこを乗り越えるのが、とても大変なことなんだろうと想像しますが·····。


いずれにせよ。自分の子だから愛せないのはおかしい、というのは僕は違うと思います。

旦那さんやお嫁さんのことも、初めから今ほど好きだったわけじゃなかったでしょうし。愛情は突然生まれるものではなく、少しずつ育むものだと思います。子どもにしても同じ。

だから愛せない時があっても当たり前だと思って、深く悩むのは「20年育てたけどやっぱコイツ可愛くなくね?」ってなったときぐらいでいいのではないでしょうか。


はい。長々と子育ての経験もない何も知らない若造がわけのわからない持論を並べたてているブログを見せられた皆様に置かれましては、相当な精神的ダメージを被ったかと思いますが、どうか御容赦ください。これはトイレの壁の落書きみたいなもんですので·····😣


このあたりで終わりにしようと思います。今回の反省を活かし、次回からこのブログはトイレの壁にでも書くことにしときますか!



では皆様、次回はトイレでお会いしましょう!
おやすみなさい!

朝食リンゴ、イカれた夜に

全然、ストローが刺さらないな。
飲むヨーグルトの朝食リンゴは初めて買ったけれど、やはりこいつはこの時間帯に飲まれることを拒んでいるのかもしれない。


飲み終えたゴミを片手に歩いてゆく。
ついさっきまではコンビニで120円ほどで売られていたのに、今は完全なゴミでしかない。代わりに、僕の価値は120円くらい上がったんだろうか。


ナンバープレートが光る車がすぐ横を通って行った。
あれは·····暗くなったら勝手に光るのかな?それとも、運転席のどこかに「ナンバープレート光らせスイッチ」があるのかな。
もしかしたら、ナンバープレートが光りたい気分だったから勝手に光っていただけなのかもしれない。運転手はナンバープレートが光っているなんて夢にも思っていないかもしれない。



イヤホンからビートルズの「レディ・マドンナ」が流れてきた。名曲だ。
See how they run という歌詞が3回出てくるが、全て別な意訳ができるのが好きだ。子どもと、家族と、ストッキングと。


次は、「デイ・トリッパー」がかかった。
気分じゃないな。「レディ・マドンナ」の次にかかる歌は、「ペイパーバック・ライター」あたりがいいハズだ。


そんな好みをiPhoneに押し付けたって仕方がない。iPhoneはただ機械的に、ランダムに次の歌をかけただけだ。iPhoneのやつは「レディ・マドンナ」のことも「ペイパーバック・ライター」のことも、他のどの歌だっていい歌なんて思っちゃいない。これは歌なんだと、芸術なんだと理解してもいない。
機械的に流しているだけだ。なのに、iPhoneから流れるメロディは美しい。変なの。



本当に変なことばかりだ。



思考の渦に呑まれ、自分と外の境界が曖昧になっていくのを感じる。周りを見渡しても、ここまで歩いてきた道のりを覚えていない。こんな坂、登っただろうか。

「Happiness Is A Warm Gun」が聴こえる。寓意に満ちた歌だ。はて、「Warm Gun」とやらはなんのメタファーだったかな。




疲れた顔と電車。黄色い線は生と死の境目。そこから先は黄泉の国、現代の三途の川。



ん。

川といえば·····今日は川の夢を見たんだっけ。綺麗な石英やらチャートやらが沢山ある川だった。上流の地層は昔は海底だったんだろう。チャートは固い岩石で、放散虫やらなんやらの殻が海底に堆積してできる。僕の好きな石の一つだ。なにせこの石は、はるか昔は生物だったのだから。僕も石になれるだろうか。



そういえば最近、趣味の石拾いできてないな。

死後どうやって地球に消費されるのかはわからないけれど、まあ、それは、やっぱり今じゃなくてもいっか。

今度の週末は石でも拾いに行こう、かな?


おしまい

楽天カードマンとバランス理論②


はい!今日も皆様お疲れ様でした!



この記事の前編にあたる記事を昨日投稿したのですが、なんと初めてコメントを頂きました。


コメントによると、学生の方が審査通りやすらしいですね。タイムリープ、できるならしたいものです·····😭😭😭


コメントくださった方、ありがとうございます。しばらくは山に籠って時魔術に励むことにします。




冗談はさておき、楽天カードに落ちた後の話。



よくYouTubeで動画を観るのですが、時折邪魔が入りますよね。


楽天カードマーーーン!!」と·····。


それまでは問題なく観られていた楽天カードのCMが、審査に落ちてからというもの耳障りで耳障りで仕方ありません。


アイドルの結婚発表などを機に、それまでファンだった人が突然アンチになる現象ってありますよね。

あの気持ちが初めてわかりました。わかりたくありませんでしたが。


普段は酷いことをされても全然人のことを憎めないし嫌いにもなれないお人好しなので、正直今回の件で自分が一番驚いています。

なんて小さい人間なのかと。



(言い訳タイム)


でもでもだって楽天カードマン、カードを2枚顔に着けてるじゃないですか。


利用規約にはおひとり様1枚までと明記されているのにも関わらず、です·····!


最近のCMでは顔面に2枚もつけたうえ、いけしゃあしゃあと3枚目を手に持って現れる始末。

そのうちの1枚が僕のカードかもしれない(飛躍)(暴論)(被害妄想)


(言い訳タイムおわり)



坊主憎けりゃ袈裟まで、とはよく言ったものですが、以降僕の楽天カードマン嫌いは徐々に楽天嫌いや川〇慈英嫌いに拡大していきました。あれ、性格、終わってない?



さて、今日の本題はここから。


今まで僕は人のことを嫌いになれなかった人間なので、今回の一連の事件にとても驚きました。昔交際していた女性からもらったサイフですら未だに捨てられずにいる僕が、こんなにも色んなものを突然憎むようになるなんて·····。


ですので、この「坊主憎けりゃ袈裟まで 」心理を調べてみることにしました。



ササーっと調べたところ、バランス理論というものに行き当たりました。


これは三者以上の対人関係があるときに、その三者間での認知関係のバランスを均衡状態に保とうとする働きのことを指す心理用語だそうです。

なんでも、それぞれのそれぞれに対する評価をプラスとマイナスに分け、それらの積がプラスなら「均衡」、マイナスなら「不均衡」であるとのこと。



·····とりあえずよくわからないので試しに今回のケースに当てはめてみましょう🤔



まず、登場人物ですが

①「ぼく」

②「楽天カードマン」

③「川〇慈英」

の3人です。


そして事件前のお互いの評価は、

「ぼく」→「楽天カードマン 」【+】

「ぼく」→「川〇慈英」【+】

「川〇慈英」→「楽天カードマン」【+】

+×+×+=+なので、全体は均衡しています。

(川〇慈英さんは楽天カードマンなので、たぶん【+】でいいでしょう)



そして事件後のお互いの評価は

「ぼく」→「楽天カードマン 」【-】

「ぼく」→「川〇慈英」【+】

「川〇慈英」→「楽天カードマン」【+】

+×-×+=-なので、全体は不均衡になります。



ということでこの認知関係を均衡させるためには、以下の2つしか方法がありません。


①「ぼく」が「川〇慈英」を嫌いになる

②「川〇慈英」が「楽天カードマン」を辞める


なるほど·····。

こういう理屈で僕の脳には①をするしか選択肢がなくなったんですね。




結局このブログで何を言いたいか



例え認知バイアスで説明がついたとしても、筋違いに人を憎むのはよくない!ということです。


今回の件は、大いに反省したいと思います。

ただでさえ良いところのない僕が、人を恨むようになったらそれこそ最悪ですから。



罪を憎んで、人を憎まず。

楽天カードマン」を憎んで、「川〇慈英」を憎まず。です。



です。じゃねえよ。



相変わらずの低クオリティなわけですが。

今日のブログはここまでです!また見てね!






 



楽天カードマンとバランス理論①


みなさま、本日も学校やお仕事などなどお疲れ様です!

そしてこのブログを見ているお猿さんやゾウさん、あなたがたはきっと今日もリンゴとかかじってたと思いますが、そちらもお疲れ様でした。



今日は笑い話でもしましょう!


偏見かもしれませんが、昔から僕はクレジットカード払いに大人の印象を感じていました。
大人になったら僕もカード払いするんだ!と幼き日のフミ少年は決意したワケです。


そして実際申し込んだのは、就職してから半年を過ぎた頃。

そのときの僕はカード会社の知識なんてちっとも持ち合わせていなかったので、CMでよく見かけるというだけの理由で楽天カードに申し込むことにしました。


申し込んでから1週間ほど経った頃でしょうか。


おかしい。


楽天カードが届きません·····!


楽天カードって確か、5日くらいでカードが届くって話だったはず。
まさか、とは思いましたが、念の為に発行状況を確認してみることにしました。






『申し訳ありませんが、お客様のカード発行をお見送りとさせていただきます』



え·····。

·····。

そうです。

楽天カード、落ちちゃったんです。


そ、そんなハズは·····と思い画面を何度見直しても結果はおなじ。


楽天カードって職業欄がスナイパーでも受かるという都市伝説があるくらい誰でも審査通るので有名なんじゃないの·····。



まさか真っ当な企業に務める僕がスナイパー以下の評価を下されるとは思っていなかったワケで。

真っ当じゃなかったのは僕だったということですね。笑

いや笑えないよ。



僕は(周りの大人たちが引くほど)無邪気なことで有名ですので、申し込んだその日から「今日はカード届いてるかな!」と毎晩ウキウキで確認するほどカードの到着を待ち望んでいたのですが·····残念ながら審査落ちです。

かなしい(ストレート)。



くだらない話ですが長くなりそうなので、前後編にしよう·····かな。

この話に誰が興味持つんだ?という皆様の声が聴こえるようですが、後編へつづきます!
またね!

38万kmの腕があれば触れる


さあ寝るかーというときにふと、窓の外を見てみたら。


でっかい半月がプカプカ浮いてるじゃないですか。


なんとなーくキレイだな〜と思い、せっかくなのでブログにしちゃおうと。

寝る前のブルーライトタイムで私の眠りに悪影響マッタナシなわけですが、たまにはいいでしょ。




今日の月を見てても思うんですが·····

地平線近くに在るときの月って、メチャ大きく見えますよね、?

(今この夜にこれを読んでくれてる優しい優しい超優しい方、ちょっといま月を見てみてください)


「月の錯視」といって、ずーーー、っと昔から論じられてきたそうです。どうやら、ポンゾ錯視という錯視現象と同様のメカニズムで起こるという話もあるみたいですが·····詳しくはわかってないようで。


もちろん、本当の月の大きさはいつだって同じ。

5円玉の穴に透かして月を見てみると、ちょうどスッポリ入るらしいです。どんなに月が大きく見える日でも、スッポリ。




う〜〜ん。

なんとなく、残念な気持ち。


目の錯覚なんかじゃなく、本当に月が膨らんでたとしたら、面白かったのにな。



しかし、錯視説もまだまだ確定ではないようなので、本当のことはまだわかりません。


なにせ月が、「僕は膨らんだりしないよ」、なんて明言したことは無いんですから。



オチとか締めとかそういうのは昨日東京湾にブン投げてきたので、ここで終わりにしときます。


読んでくれて、本当にありがとうございます、みんな🥺(これはブログなのか?)